3Mar
第二次世界大戦中、日本の外交官・杉原千畝の勤めるリトアニア領事館には、ナチスドイツに追われたユダヤ難民が押し寄せました。日本政府は公安上の理由からビザを発行してはいけないと通達したため、杉原は苦悩します。もし命令に背けば自分と家族の身が危うくなるかもしれません。しかし「私を頼ってくる人を見捨てるわけにはいかない」と、彼は政府に背いて、自分の責任でビザを発給することを決意しました。公式に記録されているだけでも2139枚ものビザを書き、彼の行為によって命を救われた人は6000人にのぼるといわれています。責任を逃れようとするのではなく、「責任は自分が取る」と決めることで多くの問題が解決するのです。